利ではなく義を

 書きたい事は山ほど有る。しかし現在の日本の(世界の)状況を見たら不用意なネットでの公開は憚られる事もある。たとえば放射能について前月は殆ど書かなかったが、忘れた訳ではない。ガイガーカウンターは常に肌身離さず持ち歩いているし、ふくいちライブカメラも逐一チェックしている。一つ現実を言えるとしたら、自分の腰の位置の放射線量は4ヶ月前に比べて(相対的に)かなり下がって来ている。これは推測だけど、やはり白河や栃木県北ではセシウム137より半減期が二年といわれるセシウム134の方が多かったのではないかと思う事。しかし放射線放射線、出来れば浴びたくないのは相変わらず。

 それからつい先日、涙が出るほど嬉しかった事が有る。ある人が(利)ではなく(義)で応えてくれて日本もまだまだ捨てたものじゃないと。脈々と続く日本人の営みとはまさにこういう事なのだ、と実感した。たぶん私が首都圏でしか行動していなければ感じなかった類いのモノだ。今話題のやくざな話ではないので誤解なきよう、普通に仕事の場面でだ。

 いつの頃からか、玄関に鍵を掛けるのは当たり前になり、嘘くさいスマイルは0円で取引され、テレビは疑ってしか見られなくなり、首をすげ替えるだけの政治に辟易とし、方位磁石が最早役立たずになろうとしている21世紀の今、信じられるのは心の叫びだけだ。そこでTwitterFacebookなどはとても有効な手段だと思う、しかし私は苦手だ。多分つい余計な一言をつぶやいてしまうと思う。これらには向き不向きが有るだろう。私にとってインターネットは眺める程度の付き合いがちょうど良いのかも知れない。何が言いたいのか既にカオスだ。。。

 とにかく原子力はもちろん、実はインターネットも今の人類には手に負えないのでは無かろうか。性善説という言葉すら無くなるくらい解脱して悪意というものが完全に闇に葬り去られた時、インターネットはその底力を発揮するような気がしてならない。スティーブジョブスが現場を去った今、デジタルの夢から覚めたような気がしている。